世界紅卍字会とは

世界紅卍字会(せかいこうまんじかい)は、1922年中華民国の道院という宗教組織の慈善博愛の善行を行う事業執行の付属施設の一つとして組織されたものであり、戦前の中華民国では赤十字社に準ずる組織として活動しておりました。

「世界紅卍字会と道院」の由来と「太乙北極真経」

道院の由来は1916年(大正5年)頃、中国山東省浜県の県公署内に昔から存在した、大仙祠(仙人を祀る大きなほこら)に於いて、時の県知事、呉福永と駐屯部隊長劉福緑、その幕僚 洪解空、周吉中等が神仙の神託を授かろうとして、中国に古来より伝わる「扶乩」という一種のお筆先で神示を仰いだことによります。

この壇にはいつも唐時代の聖者と伝えられている尚仙が降りられて、平素から詩や文章を用いて唱和され訓を垂れていました。そして何か事が起こり、悩み苦しんで神仙にお伺いをたてる度に、いつも適切明快な回答が示されていたのでした。

後に、1920年再び浜県の各氏が済南の首都に邂逅し再び扶乩の壇を設けました。壇に参列する人は徐々に増え、36人に上る頃より道院で最も貴重とされる経典『太乙北極真経』が伝授されました、この頃の訓示に「この経は 公共普救(一般社会をあまねく救う)の書なり。壇を設ける一事は、吾れ授経をおわれる後に於いては、常時に利禄(私利と棒禄)に向いて、密かに求める事を許さず。道を口実として世事を得れば(私利私欲を満たす)必ず大いなる災禍あり」この訓示に従い後に中国政府内務部に『太乙北極真経』の版権を認可登録を申請許可されました。
さらに道院の十二ケ条の規定を定め、同じように許可されました。
第一条
「本院は道徳を提唱し、慈善を実行することを以って宗旨と為し 名を定めて道院という」
第二条
「本院趣旨の重は、太乙北極真経に習静参悟するに在り、道教を専研する者とは別有り」
第三条
「凡そ誠心にて道に向かう者は、皆院に入りて修を進むることを得る、種族・宗教の区別なし、但し政治に関係せず、党派に連ならざるを以って必要となす」
などと謳っていました。

かくして、1922年の立春をもって正式の創立記念日と定め道院の創立を見ることができました。
道による教化はたちまち、天津、北京、済寧の三院が相次いで成立し、1年のうちに六十ヵ所の道院が設立され、後には全中国の二十三省に及ぶ四百数ケ所 そして信徒の数も六百万人を超えたとも云われております。

道院は中華民国大総統 余世昌と実弟 余世光や杜黙清 軍閥の張作霖呉佩孚、中国最後の皇帝後の満州国皇帝でもあった溥儀の弟 溥傑など当代の名士が信徒として多く名を連れておりました。戦前において中国大陸に驚異的に布教され、中国満州で最大の宗教慈善団体であると称されることもありました。


誦経弭化について
道院では経典(『太乙北極真経』及び『太乙正経午集』)を誦経することにより災劫を無形に消弭(消滅)し、普く衆生を救うことができるとされています。
但し、誦経は必ず道院に於いて六人以上でなければならないとされています。
誦経弭化について「道徳精神華録」の誦経真諦の中の訓で「経の言は均しく金玉の言で一団の正気を蘊蔵(深く蔵する)している。故に虔誠にこれを誦すれば、人の正気と経の言とが合して悠弥(限りなく遠い)の境にむかい六合の内、宇宙の間に感ぜざるところはなくこれに応ずるのである。
各方の誦経でなければ、神これが為に駆使することができない。」また別の訓に「誦経は劫を弭(なくし)する。諸方はその効果を知っているが、効は篤き誠に在って、篤誠が極に至れば善気は自から凝り、善気が凝ればすなわち厲気(悪気)と化する。
誦経者が少数であっても、よく大厄を解くことができる、この理は甚だ微妙である。
真経は純善の法言である。」など他にも多く誦経弭化の重要性を説いています。


INFORMATION

世界紅卍字会は、道院という宗教の組織の付属施設の一つで、道院事務五則にいて慈善博愛の善行を挙弁する事業執行の機関として1922年に組織された。1921年に山東省で結成され、わずか2年間で中華民国全土に広がった道院は、「先天の大道」を中心に五大教(基、回、儒、佛、道)を奉ずる宗教団体で、日本の大本教は道院と同じ宗旨であるとして提携していました。


世界紅卍字会の赤色の印「卍」(「万」を当てることもあり、発音は共に wan )は、「紅は赤誠を表徴し、卍は吉祥雲海と称して佛相を象徴させたもの」といわれる宗教的なシンボルで、「紅十字会」(中国の赤十字社)の「十字」を「卍字」に置き換えたものではないかともいわれています。

日中戦争(支那事変)当時は、上海などの一部地域を除けば世界紅卍字会のほうが赤十字社よりはるかに活動しており、認知度も高かいものでありました。日本軍も世界紅卍字会の活動を認知していたものと思われる。満州事変以前から、日本では傀儡政権を担う組織に適していると考られていた説があります。

1937年の日本軍による南京占領の際には、日本の法政大学に留学した経験のある南京分会会長・陶錫三(陶宝普、陶錫山)が南京自治会長に任命されました。ただし、病気を理由に執務はしませんでした。

世界紅卍字会が行う慈善事業には恒久的のものと臨時のものがあり、恒久的事業として「医院」「学校」「貧民工廠」「惜字会」(字を粗末にしないという趣旨の会)「因利局」(貧民への無利子融資)「育嬰堂」(親が無力の嬰児を育てる施設)「残廃院」(身体に障害を持つ人のための施設)「卍日々新聞」「慈済印刷所」などのほか、いくつか慈善事業がありました。

いわゆる南京大虐殺で話題となる遺体の埋葬は「臨時的慈業」に属する。事変での傷病兵民の看護や埋葬は本来の事業ではありません。末光高義『支那の秘密結社と慈善結社』に掲載されている「世界紅卍字會救済隊規定」において注目されるのは、「本會の救済隊員は出發に際し戦時公法に依り従軍救護するものとす」(第二條)とし、需用品を汽船汽車等に輸送する場合は「陸海軍人同等の特遇を受くるものとす」(第三條)とされている箇所です。世界紅卍字会には赤十字社に匹敵する特殊な地位が与えられていたことを示すものと考えられています。白地の楕円に紅の卍は人夫の制服の認識票であり(第十條・乙)、日中戦争の写真にみることができます。

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