道院 紅字会の活動

道院の活動


内修ということ

道院の活動の目的は信仰修養を目的とするものであり、具体的な実現方法として、修坐と誦経という手段を用いていています。

修坐(しゅうざ)

内修で最も重んじるものは修坐(坐禅 である。道院の坐法は「上元の坐」或いは「先天の坐」と称し、一般に流通している仏教やヨーガ、仙道などの坐法とは趣を異にしている。達摩仏(達磨大師)は道院の扶乩の壇に降りられ「坐は上中下の三法に分かれている。仏教の結跏趺坐の如きは中下の坐法であって、その効果は大したことがないばかりでなく、強制的な人為工夫があるため、(禅病などの)弊害を免れることができません。今わが師の至聖先天老祖は世人の真炁が淪亡してゆくのを哀れみ給いて、天界の秘中の秘である上元の坐を『太乙北極真経』にて伝播せられました。この坐法によって元炁を挽回してゆけば、先天に還ることができる」と示されております。

誦経(しょうきょう)

至聖先天老祖は「人を済度し、世を教化する道は第一に炁学を以て大本と為す。故に世界学説の本源を明らかにして派別の先入観を解除し、災劫の起きんとするを未然に消滅する」と訓示されました。そして『太乙北極真経』および『太乙正経午集』こそは、その本源を探求する炁学の最奥義に他なりません。修方はこれらの経典を誦することにより、その神秘の言霊の作用によって、未だ起きざる災劫を弭化(みか)することができるとされています。

扶乩(フーチ)

道院では、経典の形成は総て扶乩(フーチ)という神託法に依っていました。扶乩とは中国に古来より伝わる神示を仰ぐ方法で、道院の壇訓によれば、扶乩は今より三千年前に周公旦に依って創始され、周易の爻辞は周公旦が乩壇(扶乩の祭壇)に依って得たものであるといわれています。扶乩は、乩筆(木製の丸棒の中央に木筆を丁字形に取付けたもの)の両端を正纂と襄纂の両人で持ち、その木棒の下には砂盤と称する砂を平らに盛った盤を設ける。砂盤の北方上位に神位があり、正纂は砂盤の西側に東面し、襄纂は西側に東面する。両纂方は無念無想で何等の意念も交えない。初めは乩筆が動き出して円形を描いているが、そのうちに自ら神霊が降って乩筆が自然に砂盤の上に文字を現す様になる。道院の扶乩は、大道を闡明するという最高目的のためにこそ設けられたものであって、単に心霊現象を云々したり荒唐無稽の迷信者流と同列に見てはならないのです。

紅卍字会の活動

外修ということ

紅卍字会は世界和平を促進し災患を救済することを宗旨としています。

道慈の不可分性

 道院のあるところ、必ず紅卍字会が設置されています。これは道(内修)と慈(外行)が不可分の関係にあるからです。内修の結果、自ずから生ずる慈心を外形に現すことは当然のことで、紅卍字会の海外初の救済活動は、大正12(1923)年の関東大震災に際し、最も早く救済の活動をしたことに始まり、戦中戦後は中国大陸での日本人の保護・救済活動など枚挙に遑がありません。

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